しっぽくうどん・しっぽくそばの由来 [食文化]
先日、「駅うどん」さんの記事で「しっぽくうどん」をとりあげました。
⇒オススメ!冬の香川名物しっぽくうどん
その「しっぽくうどん」の由来や薀蓄について、やや詳しくまとめましたのでアップします。
◆しっぽくうどん
「しっぽくうどん」は香川県讃岐地方で寒い時期に食べられる郷土料理です。
大根、にんじん、里芋、ごぼうなどの根菜類に、油揚げや鶏肉を具材にしたうどんですが、具材の決まりはとくにありません。
それらの具材を煮込んだ汁をうどんにかけたものが、しっぽくうどんです。
讃岐ですから出汁は煮干し(いりこ)。
香川では、関西と同じく、「汁」のことを「だし」と呼びます。
「しっぽくうどん」は京都にもあり、また茨城の「けんちんうどん」ともよく似ています。
◇京都の「しっぽくうどん」
京都にも「しっぽくうどん」があります。
うどんのうえに、椎茸、かまぼこ、ほうれん草、湯葉などの具材が載ったもの。
汁で具材を煮るのではなく、うどんの上に具材をトッピングするのは多いようです。
◇茨城の「けんちんうどん」
「しっぽくうどん」は、茨城の郷土料理「けんちんうどん」とよく似ている。
「けんちん汁」は精進料理なので、本来は肉を入れない。
しかし現在では鶏肉や豚肉を使うため、「けんちんうどん」と「しっぽくうどん」の具材の違いはなくなっています。
しかし汁は大いに違う。
香川のしっぽくうどんはいりこ出汁に薄口醤油。しかし茨城のけんちんうどんは、鰹節、昆布のの出汁に濃口醤油です。
◆「しっぽく」の由来
「しっぽくうどん」の「しっぽく」の由来は、長崎の「卓袱料理」の「卓袱」(しっぽく)だとされています。
◇長崎の卓袱料理
卓袱料理は、円卓を囲んで大皿に盛られた料理を自由に食べる長崎発祥の宴会料理のこと。日本料理のように各自の膳ではなく、テーブル(卓)に料理を載せて食事するのが特徴です。
江戸時代の元禄年間(1688~1704年)に、長崎に伝わった南蛮料理や中国料理にアレンジが加えられて日本料理化され、長崎独自に変化したのが卓袱料理です。
「卓袱」の「卓」はテーブル、「袱」はふろしき・クロスの意味で、「卓袱」とは「中国風の食卓を覆う布」のことで、それが転じて「食卓」のことを指します。
なお「卓袱」を「シッポク」と読むのは、平安時代から江戸時代末期に中国から入ってきた「唐音」によります。(参考:由来・語源辞典「卓袱」、wikipedia「唐音」)
そこからさらに現在では、大皿料理のことを卓袱料理と言うようになっています。
◇卓袱料理が東に伝わる
文化・文政期(1804~1829年)前後には江戸で卓袱料理がブームになりました。(参考:wikipedia「卓袱料理」)
それより以前、享保期(1716~36年)に卓袱料理が京都に移植され、さらに大坂や畿内に広まったそうです。(参考:そばの散歩道「しっぽく」)
◇京都のしっぽくうどん・江戸のしっぽくそば
その「卓袱料理」から、なぜ「しっぽくうどん」と呼ばれるものが生まれたのか。
この点については、そばの散歩道「しっぽく」で以下のことが書かれています。
寛延4年(1751)脱稿の『蕎麦全書』によれば、延享期(1744~48年)から寛延期(1748~1751年)に、日本橋の「近江家」というそば屋が「しっぽくそば」を始めている。
卓袱料理のなかに、大盤に盛った線麺(そうめん、またはうどん)の上にいろいろな具をのせたものがあり、これを江戸のそば屋が真似して売り出したのが「しっぽくそば」だという説がある。
しかし長崎の卓袱料理が直接に「しっぽくそば」に変化したのではない。
江戸時代の元禄年間(1688~1704年)に生まれた長崎で生まれた卓袱料理が、享保期(1716~36年)に京都、さらには大坂や畿内に広がった。
したがって、まず京坂のうどん屋がいち早く「しっぽくうどん」を売り出し、それが江戸に伝わって「しっぽくそば」になったと考えられる。
京都には今も「しっぽくうどん」がありますが、それは享保期に京都に伝わった卓袱料理から生まれたものなのでしょう。
文化・文政期(1804~1829年)前後に江戸で卓袱料理がブームになりました。
しかし、それより以前、延享期(1744~48年)から寛延期(1748~1751年)には「しっぽくうどん」が伝わり、「しっぽくそば」が生まれたようです。
しかし京阪の「しっぽくうどん」が江戸の「しっぽくそば」になった、というのは正確ではないでしょう。
江戸の麺類のうち、最初にあったのは「うどん」の方で、その後「そば」が誕生し、次第に「そば」が優勢になっていきました。
江戸で蕎麦屋がうどん屋よりも多くなったのは、18世紀の終わり頃らしい。(参考:岡玲子「中世・近世の麺食について」『福岡女学院大学紀要 人間関係学部編』第8号)
江戸に「しっぽくうどん」が伝わったころ、江戸はまだ「うどん」が優勢な時期だった。
だから江戸でも「しっぽくうどん」が提供され、しだいに「しっぽくそば」も提供されるようになったのではないでしょうか。
◇「時そば」に登場するしっぽくそば
そんな「しっぽくそば」は、江戸落語の有名な演題「時そば」にも登場します。
主人公が、夜そば売り(風鈴そば)に「蕎麦屋、なにができる」と聞く。
すると蕎麦屋は「花巻にしっぽく」と答え、主人公はしっぽくそばを注文します。
ただしその「しっぽく」の具は、竹輪だけ。
ケチったわけではなく、屋台の「しっぽくそば」は、その程度の具が普通だったようです。
ちなみに「花巻そば」は、かけそばに海苔を浮かべたものです。
ただし「時そば」は、江戸時代の作ではなく、明治時代に三代目柳家小さんが上方落語の「時うどん」を江戸話に移植したもの。江戸末期にあった「しっぽくそば」を取り上げたのでしょう。
なお、元ネタとなった上方落語の「時うどん」にはこのやり取りはなく、客は「一杯つけて」と言って、かけうどんを食べます。
◆香川のしっぽくうどん
長崎の卓袱料理が京阪に伝わって「しっぽくうどん」が生まれた。
それが、江戸に伝わって「しっぽくそば」になったと考えられます。
それと同様に、京阪から香川に「しっぽくうどん」が伝わったとだろう考えられます。
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